オートサロンの軌跡-vol.1 オートサロン2002
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1983
 第1回 やっと改造文化元年になりそうです。チューニングカーの市民権獲得へ向け第1回「「東京エキサティングカーショー」堂々開催!

OPTION1993年3月号
第1回東京エキサイティングカーショーの開催を誇らしく伝える
OPTION 1983年3月号

東京国際センター
この当時、東京モーターショー開催地である東京・晴海の東京国際センターで、異端視されていたチューニングカーのショーが開催されたのは異例の事だった。
セリカXXツインターボ
(フォルテックス販売)
カスタムボディーキットを装着した角4灯。ツインターボで300ps近いパワーを発揮!
セリカXXツインターボ

1G-GセリカXXトリプルターボ
(TRUST)

「83年をリードする驚異のターボメカ」(誌上より)

1G-GセリカXXトリプルターボ

大藪晴彦氏
ボクの想像していた以上に、角間心の仕上がりはすばらしい。正直いってびっくりしたよ。でも暴走族とは違うこういった車の楽しみ方は今後も大事にしていきたいね。
大会名誉会長
大藪晴彦氏 (作家・故人)
ダットシン
ダットシン
個人がダットラをベースに改造し、車検まで取得した超力作。
ピアッツァグランデ
ピアッツァグランデ(ハヤシ)
スタイリッシュなピアッツァをセンスよくドレスアップ!今でも通用しそう。
   
1984
 第2回 第2回より「放送記者賞」としてチューニングカーコンテスト開催
M-300セリカ
HKS M-300セリカ
(エッチ・ケー・エス)

トヨタも、当時はマークU、セリカ、
レビトレが頑張っていた。
レノママジック3.0ターボ
レノママジック3.0ターボ
(イージーライダーズ)
   
1985
 第3回 異色のクルマが続々登場
稲田大二郎氏
OPTIONの「カオ」稲田大二郎氏も若き日はこんな顔だった。
MRU
MAD'S MRU Lang Heck(マッドハウス)
AW11ベースで全長3925 or 4925mm!。
谷田部での最高速を狙った スペシャルボディだ。とにかく長い!!
MC2
MC2(メジロデザイン)
平面を多用してボディコストを低減させつつ、未来指向のデザインを具現化!!たしかに昔は未来車のイメージってこんなだった。
シティサンク 何とも健康的(?)な当時のメインコンパニオンの3人。茶髪のコなんていませんでした。
リアルスポーツ・シティサンク(ウィズ)
’84年式シティをグループBルノーサンク風に!元祖ナンチャッテ!
コンパニオン
   
1986
 第4回 新しい時代の潮流を感じてくれ!
雑誌
この年の出展車は少々おとなし目だった。それは、大胆なものへの飽きとともに、何よりメーカー、ユーザーともに車検を意識しだしていたのだ。
稲田大二郎メッセージ
僕たちのモーターショーが、今年で4回目を迎えた。初めの頃はホントに改造車のショーが堂々と新車ショーの殿堂、東京・晴海のドーム館でやれるなんて信じられなかっただろう。(中略)チューニングやドレスアップがこのショーをきっかけにかなり合法的な姿に近づいてきた。逆にショーでデモンストレーションすることによって、今まで認められなかったパーツが市民権を得てくる効果も大きい。
(OPTION1986年3月号17P)
   
1987
 第5回 そして「東京オートサロン」として新たなる出発
中村良夫氏
「日本にはカスタムが少ない。大企業に押し潰されている。が、歴史的背景からいっても、カスタムこそがクルマの原点であり、本質なのだ。でも、こうしてみると、日本のカスタムも捨てたもんじゃないというのが実感デス」
コンテスト審査委員長
中村良夫氏 (第1期ホンダF1監督・故人)
東京オートサロン掲載記事
プレゼントこの年のプレゼント
車はファミリアカブリオレ
レーシングドライバーのサイン会星野一義選手をはじめ、有名レーシングドライバーもサイン会などで大活躍
   
   上記誌上の同時代トピックス
 
  ●3年車検開始(’83)
●ロータスのコーリン・チャップマン死去(’83)
●’82-’83日本カーオブザイヤー車はFFカペラ(’83)
●日産系中古車センターがシルビアのエアロバージョンを出し、ついに大手が出した!と話題に(’85)
E-FBファミリア●E-FBファミリア登場!(’85)
“話題のコンパクトディスク”をオプション装備
ニューソアラ●「先端技術と円熟味でナマツバゴックン」のニューソアラ登場(’82)
●スバルジャスティにECVT搭載(’87)
●パルサーツインカムバージョンにビスカスL.S.D.搭載(’87)
●’86-’87カーオブザイヤーは、パルサー軍団[エクサ、ラングレー、リベルタビラ]に(’87)